昭和16年初め、東京・帝国ホテル。 当時の料理長、石渡文治郎が、部下の若手コック13名に指示を下した。 「調理場の銅鍋を集め、隠せ」。 日露戦争を経験していた石渡文治郎、このまま戦争が激化すれば、 鉄や銅製品はいずれ没収されることになり、 料理人の魂ともいうべき銅鍋も、必ず取られることを予見していたのである。 隠し場所は帝国ホテルからやや離れた、直営レストラン「リッツ」の地下二階。 大八車に銅鍋を積み、菰をかぶせて荒縄で縛り、 裏道を通るとかえって怪しまれるとばかり、日比谷の表通りを経由して丸の内警察署の横を通り、 500個以上の銅鍋のこと、一度運ぶのに20分を毎日、それが一週間以上続いたのだが、 堂々と運んだのが功を奏したのか、一度も見咎められることはなかった。 作業が一段落してしばらくすると、案の定、政府から8月30日に「特別金属回収運動」が発令され、 やがて調理場に残されていた鍋は、ほとんどが献納されてしまった。 「帝国ホテルが鍋を献納」が、新聞に大きく扱われた一方で、 石渡料理長が部下たちに、堅く口止めをしたのは当然の成り行きであった。 太平洋戦争が開戦になると、作業にあたった若手コック13名はことごとく召集され、 うち10名が戦死、終戦後、帝国ホテルに帰ってきたのはわずかに3名。 その3名も、戦後の混乱の中、隠した銅鍋のことはすっかり忘れてしまっていたが、 やがて古株のコックから「戦前に使っていた銅鍋がどこかにあるはずだ」という話が出た。 では一度確かめよう、ということになり、調べにいくと、 隠したそのままの状態で眠っていた銅鍋が発見されたのが、昭和29年。 13年間眠っていた銅鍋は、今もなお、帝国ホテルの調理場で使われている。 |
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